今回訪問したのは、首都ブリュッセルの南東約100kmに位置するコンドローツ地方の砿山。
コンドローツは、ベルギーのナミュールからリエージュに延びる一帯を指す。森と田園が連なる美しい風景の中をひた走る。
いつものことながら、石材の産地に近づくと、石でできた建物が多くなってくる。その村々に建つ建物のほとんどは石づくりだ。
観光地化されていない分、とても素朴に感じる。茶色の砂岩で作られた古い農機具小屋、現代的なデザインの素敵な家、田園に溶け込んだ歴史薫るマナーハウス……。
そんな風景を見ながら高い丘を登ったところに砿山があった。
上から見下ろす砿山の全景は圧巻の一言。爆薬で発破をかけ、エスカベーター(大型の油圧ショベル)で山を崩し、使えそうな大きさの原石を選別している。
さらに、砿脈がブルーストーン(青黒い石灰岩)と表裏一体になっているようで、隣り合わせでこれらの石が採掘されている。場所により、色の特徴に違いがあるのが興味深いところだ。
これらベルギー産の石材が古くから世界各地で使われ、今でも人気が高い理由を知るには、「フランダースの犬」や「ノートルダム大聖堂」で有名な、アントワープという港湾都市の歴史をまずは紐解いてみる必要がある。
アントワープは古来、世界のダイヤモンドが集まる街として栄え、今でもその取引量は世界一だ。元々、1400年代インドで採取されていたダイヤがアントワープ港で荷揚げされ、ヨーロッパ各地へ持ち込まれていた。
当時の技術では、カットは出来ても、研磨が出来なかったそうだが、ユダヤ人の職人が研磨用の円盤を開発した事により、世界一のダイヤモンド加工技術がアントワープに集中した。現在では世界の85%のダイヤがここに集まると言われている。
1800年代に入ると、港は停滞期を迎え、人口も減少したが、当時そのエリアを統治していたナポレオンは、イギリス攻略の拠点として、アントワープの重要性を見抜いていた。港は再開発され、急速に発展したアントワープ港は、再び、多くの商船が行き交うようになる。
当時の船は、各地へ航行する際、船体の安定性を確保するもの(バラストと呼ばれる)として、舗装材の規格外品や使えなかった石を船底に積んでいた。目的地に着いた船がそれらの石を現地に置いてくることが多かったため、このような石材が各地に広がったと言われている。
ヨーロッパの他の都市でも同じだが、ベルギーの街中の車道には多くの石材が使われている。しかし、磨り減ったものがあると雨で車が滑りやすくなるため、古いものは取り替えられてしまうとのことだ。現代のベルギーの街中にも多くのピンコロ石が敷かれていたが、補修のためにはずされてしまった。
過去のように船のバラストに使われることは少ないかもしれないが、だからと言ってそのまま捨ててしまうのは何とも勿体ない。長い歳月を経て擦り減った石の表面は、その石にしかない、とても深い味わいがあるのだ。
この砿山を持つ会社では、モルタルやコンクリート、アスファルトの付着した石を洗浄し、周辺諸国やアメリカに向けて出荷もしているそうだ。
弊社も、ここでリサイクルされている古い石材を輸入販売している。訪問中にも続々と古い舗石、敷石が入ってきていたが、どれも100年ほど前に使用されていた物だ。
短期間のベルギー訪問ではあったが、魅力的な石材と出会うことができた。
文:秦野 利基、松田 憲親